それぞれの道
今日は中学時代の同級生、玄と佐久間に会い、ランチをして、軽く遊んできた。
玄は大学を休学し、明日からアメリカに一年間留学する。
大学では社会福祉を専攻していたが、自分には合わないと判断し、
かねてから興味をもっていた英語を生かすため、単身でアメリカに乗り込み勉強するという。
現地では、むこうの大学の留学生用のプログラムを受けつつ、通常講義にも参加する。
生活は大学の寮に入り、完全に現地の学生と同じ生活をおくる。
この留学にかかる費用は、一年間自分でバイトした資金で学費以外は実費。
当然単位も出ないので、必然的に5年生になる。
一方、佐久間は大学受験生として今も勉強にそこそこ(?)励んでいる。
彼の自由人ぶりはかなりのものであるが、そこには彼の堂々たる主張が見え隠れする。
佐久間は音楽をこよなく愛し、バンド活動を主体にしてきた。
彼のバンドグループは何枚かのCDも出しており、彼自身もバンドに生きがいを感じている。
今の状況に若干の危機感を感じ始めているようだが、それ以外はあの佐久間であった。
彼の数多くの社会経験からか、彼は大学生となんら変わらない、むしろそれ以上だと俺は感じた。
こんな友人との会話は非常に心地よかった。
もちろん、久々にあった嬉しさもあったため、感動も一入だった。
しかしその心地よさの原因は、日本固有の時間軸を捻じ曲げられる彼らの考え方にあると思う。
普通の人は彼らのような行動、考え方を怖がり、思いとどまらせようとする。
二人の友人も反対されたことは多々あるという。
大学三年の秋あたりから一斉に就職活動を始め、卒業と同時に一斉に就職するというのは、
日本特有のものらしい。「新卒」という言葉があるくらい、卒業、即就職というのは社会化している。
欧米ではたとえ就職できなくても、「一年間好きなことをやる時間が増えた」と考え、
翌年の就職活動にも支障はまったくないようだ。
ちなみに二人の友人の考えは後者に非常に近かった。
友人たちの考え方は、日本では評価されにくいのかもしれない。
しかしそこには、自分の「好き」を追求する確固たる信念が感じられた。
お金や時間では計れない、「何か」をつかみかけている二人を見て、非常に刺激を受けた。
昨日のブログでかなり悲観的に書いてしまったが、とりあえず会計士の勉強をやめるつもりはまだない。ただ、一年でも早く受かりたいという気持ちはすっかりなくなってしまった。思えば、公認会計士の資格は欲しいと思っていたが、公認会計士になってやりたいことはなかった。要は、資格が欲しかった、又はありもしない安定という言葉に憧れていたのかもしれない。
今の俺にとって、会計士は将来の進路の選択肢の一つではあるが、それ以上でもそれ以下でもないというのが本音だ。やはり会計士になってバリバリ働きたいと思えば、また以前のような生活に戻るだろうが、それ以上のものを見つけたときは場合によってはシフトすることも考える必要があるかもしれない。
いずれにせよ、会計士の勉強は継続してやっていきたいと思っている。会計の勉強は嫌いではないし、むしろ俺の個性となっている。会計による考え方を軸として物事を考えることで、視野を広げることができそうだ。既存のものではない、新しい何かを見つけることもできるかもしれない。最近そんな小さなワクワクが増えている。
真剣にやるが、深刻にならない。一つでも得たいものがあるなら、トライする。
一年後に報告会の約束をし、三人はそれぞれの道を歩みだした。