【山田家として役割】
突然の訃報。
花金の夜の仕事をぶった切り、
一路、茨城へ。
儀式は滞りなく行われ、また、いつもの日常へと帰ってきた。
いくつか、思うところがあった。
その中でもとりわけ強く感じたことは、
僕が「山田家」という家系に何を期待されているのかということ。
これまで、やりたいことを探したり、やってみたり、あきらめたりと
好き勝手やってきたけれども、山田家としての僕の役割を考えたことがなかった。
今は社会人なので、「社員として」という役割も当然ある。
同様に、誰にも言われなかったけど、家系にもあるのではないか。
山田家(分家だけど)はもともと自営業だったので、家業も存在する。
伝統工芸の一つで、着物の帯留めを織る職人だ。
歴史的価値と高い技術が認められ、美術館などにも展示されているらしい。
でも、着物自体の需要の低迷と、織り機の機械化の進歩、そして後継者不足により、
出荷数は減少傾向だった。
今は叔父が継いでくれているが、叔父だってそんなに若くない。
山田家の家業は叔父の代で終わりだとも親族で言われている。
深夜、遺影を前にして、いまさらだけど考える。
ねぇ、考えもしなかったけれど、
僕にもその道はあったはずだった。
おじいちゃんや叔父さん、そして父は、
山田家の一員にどんなことを望んでいるのだろう。
なかなかやりたいことがはっきりしない今、
まずは自分の尊敬する人、大切な人の望んでいることを
実現させることを使命とすることは
すごく大事なことなのかもしれないと思うのだった。