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アラサー営業マンの勉強ブログ。

自己分析 〜中学生日記♪〜

この自己分析企画もこれで4回目。
今回は僕の中学の頃のお話です。
始めて見る方は左のカテゴリーから自己分析を選んでいただき、
順番に見てくださるとうれしいです。
それではお願いいたします・・・。

.中学校について

【先生について】
中学の先生には特別好き・嫌いという先生はいなっかた気がする。
変な先生はいたけれど、この人!という思いはなかったかなぁ。

?
一年のときの担任がとにかく怖かった。
バスケ部の顧問で、身長がとても高く、がたいもいい。
目つきが非常に悪く、父兄からも「ヤクザ」みたいな先生だねとよく言われていた。
怒ると「頭を噛む」おしおきをする。
文字通り、生徒の頭をがぶっと噛むのだ。
めちゃめちゃ痛いらしい・・・
僕らの学年では、三人ほど被害者が出た。

この先生、実はとってもキレイ好き。
黒板に書く字も、校内で一番キレイだと評判だった。
そして、超親ばか。
娘の七五三で仕事をさぼったほどだ。

人は見かけによらないんだと、実感させられた。

?
陸上部の第二顧問の先生にもお世話になった。
知識も豊富で、練習もかなりきつかったが、
この先生のおかげで伸びたと思う。
うん、悪い先生ではないと思う。
ただ、女子にべたべたする悪い癖が・・・。

噂では、度が過ぎた指導に陸上部の生徒から訴えられ、
今は陸上部に出入り禁止になっているとか。

・・・。

いい先生と、悪い先生は、紙一重?
なにをもっていい先生というかは、また難しいところだが。
教師の役目はとっても重要だと感じた。

【どんな生徒だったか】
まずは当時の通信簿を振り返る。
小学校のそれと比べると、先生が書くコメントの量はかなり減っていた。
人数も増えるし、つけるのが大変だったのかな。
もしくは、僕は書くことがあんまりなかったおもしろみのない生徒だったのかも。
なんとなく、納得。

・学級委員をとてもがんばってくれた
 ⇒リーダーシップがある。
・勉強と部活に前向きに取り組んでいた
・自分の考え、芯がある
・思いやりがある
・大変意欲的で、関心をもっていろいろなことに取り組めた。
・体育祭ですばらしい活躍をした
・陸上部では部長としてがんばってくれた。

失敗を極端に嫌うので、超保守的。よく言えば、堅実的?
さらにまじめ化し、周りから見れば、おもしろみに欠ける人だったと思う。
けっこう頑固で、相変わらず上から目線が染み付いていた。

友達はそこそこいたが、親友と呼べる友達はいなかったような気がする。
この点についてはまた後述する。

先生からすれば、かなり扱いやすい生徒だったのか
誰からも好かれていたような気がする。

そんな生徒だった。
悪くはなかったけど、薄い中学校生活だったと思う。
いろんなことが中途半端。
何かにとことん打ち込みたいという思いがどこかにあった。
そして今も。

【尊敬していた人物】
小学校のころの富川先生!
情熱冷め止まず。
先生は陸上の大会の審判としても活動していたので、
中学で陸上を始めた僕と会うことがしばしば会った。
大会で先生を見つけると、
飼い主を見つけた犬のごとく走りより、挨拶した。
先生も笑顔で出迎えてくれて、近況報告するのが楽しみだった。

最近になって思うのは、自分にもこういう機会があるといいなと思う。
教師になろうとは思っていないのだが、
誰かに正の影響を与える力を持った人間になりたい。
その人にとってのきっかけとなれるような人間になりたい。
尊敬されなくてもいいから、誰かの役に立てるようになりたい。
ふつふつとそんな思いが沸くのを感じた。

【夢】
夢は、相変わらず、お医者様。
小学校まではなかった、ドロドロしたものが出てくる。
お金とか、地位とか。
そっちの方に強く影響されていたのかもしれない。

人間として、浅はか。
だから、中学校のときは充実した時間を過ごせなかったのかも。
人の成長は、持つ夢にも大きく左右されるのかもしれない。

【親友との思い出】
たぶん、親友はいなかった。
僕の周りの友達が僕のことをどう思ってくれていたかは別として、
心から親友と呼べる友達はいなかった。
僕は常に上から目線。
人に自分の弱点を見せることは決してしなかった。
自分をさらけ出そうとはしなかったのだ。
だから、浅く広くの関係ばかりだったんだと思う。

相手を知りたければ、まずは自分を相手に知ってもらわなければならない。
今の自分のキーワードに一つは、こんなところからきている。

【先輩・後輩との思い出】
上下関係は予想以上にスムーズで、むしろ楽だった。
自分の立ち位置がはっきりしているからか、変に気をつかう必要もなかった。
自分が後輩なら、礼儀正しく謙虚に。
自分が先輩なら、驕らずに指導する。
むしろ同い年の友達との距離感がわからずに苦労していた気がする。

【得意な教科・不得意な教科】
得意:数学、理科
    ⇒数字に強かった。
不得意:地理、歴史、家庭科、美術
    ⇒暗記物が苦手。不器用。

【何が変化していたか】
・成績
自分でいうのもなんだが、けっこういいほうだった。
二年までは勉強にかなり苦労していたが、
偶然入った塾により勉強に対しての気持ちが劇的に変わる。

・上下関係
なぜか無意識のうちに対応できた。
特別なストレスもなかった。
親か何かの影響だろうか?
敬語も抵抗はなかった。

環境適応能力はあるのかないのかよくわからない。
けれど、大事なところが欠けているのはなんとなく感じる。
今なら、ね。

【競争社会でどう生きたのか?】
中学になると、成果を問われる場面が出てくる。
・どういう成果を出したのか?
?勉強の成績をコンスタントに高い水準に維持できた。
?部活の成績はずば抜けてはいないが、地区入賞することができた。

・どういう失敗をしたのか?
?高校推薦で一番重要な3年の2学期の成績を落としてしまったこと。
?部活の総体でずっと死守してきていた総合1位の座を奪われてしまったこと。

・どういう後悔をしているのか?
?勉強で最後のつめが甘かったこと。復習。本番時の見直し等。
?陸上部全体がまとまりきっていなかったこと。改善の余地はまだまだあった。
?友人関係のこと。
?自己中心的で、感謝の気持ちが一切なかったこと。


ラスト!!
【高校受験】
中学3年のころの自分の価値観の塊をここに記す。

第一志望の小田原高校を選んだ基準は、尊敬する富川先生だった。
先生がこの高校の出身でもあり、小学校の頃から小田原高校の話を聞いていた。
なので、その頃から「自分もここへ行くんだ!」という気持ちがどこかにあった。
そして、中学ではほかの選択肢は一切考えられなかった。

受験勉強中のエピソード〜
通っていた塾が大当たり!!
当時は出来たばかりで、家からも離れていて、同じ中学の子は誰もいなかった。
勉強がはかどるから・こっちのが月謝が1000円安いから
という理由で僕はここに入れられた。

ところが、この塾が僕にはマッチしていた。
まず先生がとてもおもしろく、生徒との距離が限りなくゼロに近い先生だった。
生徒によりそい、とことん教えてくれた。
僕だけ使う教科書が違うと、個別で対策をしてくれたし、
合宿を開いて、生徒どうしの親睦+モチベーションアップを図ってくれた。
また、仲間にも恵まれた。
僕だけ違う中学だったが、すぐに馴染むことができ、みんなでおばかなことをしていた。

学校が終わると塾に「遊びに行く」感覚だった。
わくわくして、楽しくてしょうがない。
勉強しているという感覚がなかった。
毎日毎日、チームでわいわい高めあう感覚。
楽しかった。充実していた。
ある日気がつくと、自分の第一志望の高校に合格していた。

一般に受験というとつらいイメージがあるが、
僕の「高校受験」の思いでは、とってもすばらしいものなのである。


中学編はここでおしまい。
高校編へと続く・・・。