YMD BLOG

アラサー営業マンの勉強ブログ。

自己分析 〜EPISODE 0〜

今日より自己分析企画をスタート!!
途中でめげないように宣言するぞ!!
今回はそのうちの第1回目。

この企画の目的は、LRでのセミナーの言葉を借りると、
自分の夢の作成のために、過去を振り返ることだ。
人は考えている以上のことはできない。つまり無から有は生み出せない。
そして夢作成の前に自分を全肯定する必要がある。
自分自身を信じることができるために。

その最初のステップとして、自分史を作る。
これは、僕の過去の鎖を知るためだ。
今の僕は過去からできている。
今の僕に影響を与えている過去の鎖を知りたい。
そしてそれが今の僕にどういう影響を与えているのかも、知りたい。

自分史を分析するにあたって、ある事柄に対しての
事実・感情・欲求・影響を記載する。
そして過去の事実からの良い影響と悪い影響を知る。
良い影響→以前より意識して、もっとよい影響を受ける
悪い影響→全部を憎まず、悪い影響だけを断ち切る

最後に、総まとめとして、
今の自分を創るという一連の流れが今回の自己分析の目的だ。
忘れないように再確認!!

そしてみなさんにお願いがあります。
この自己分析が終わるとき、ぜひコメントをください。
僕はブログを通して自己分析を公開することにより、
自己分析に他己分析を加えたいのです。
そうすることで、より客観的に見たやまだかずきが見えてくると思うのです。
僕のことをよく知ってる人、あまり知らない人。
いろんな方の意見を聞きたいです。
どうかご協力お願いいたします。

それでは長くなりますが、どうぞ根気よくお付き合いください。

?基本情報

【生年月日】
1986年8月14月 17:02 
夏の晴れた日の夕方、僕は生まれた。
父は仕事のため、母には祖母が付き添っていた。
普段となんら変わらないある夏の日が、特別な日になった瞬間だったそうだ。

【名前・名前の由来】
名前:山田 和希
由来:父は長男の僕に「かず」をつけたがっていた。
   (ex.父の兄弟は長男:一志、次男:良二)
   それを聞いた母は、かずを付けるのはいいけど「一」より「和」のほうがいいという。
   「かずき」という名前は二人とも気に入っていたらしく、「き」を希と樹で悩んでいた。
   「平和の希望」という明るい未来を込め、「かずき」は「和希」と命名される。
   あとから画数を調べたところ、すごくいいらしい。
   
ちょっと女の子っぽい名前だなと以前から思っていたが、
あらためて自分の名前を知ってみると、不思議と自分だけの名前が愛しいと思える。
僕の最初のアイデンティティー。
今なら言えるかもしれない♪自分の名前が好き。
前向きになれそうなこの名前を大切にしよう。

【出身地】
神奈川県小田原市
その後隣の南足柄市に引越し、現住所となる。
南足柄市小田原市には思い出がたくさんつまっている。
海と山とお城があるステキな街。

陸上部で山や浜辺を走りまわり、
海で仲間で語って大はしゃぎし、
小田原城では学ラン姿で酔いつぶれる。

地元は緑に囲まれていたので、緑が好きだ。
静かな町なので、人ごみはあまり好きではない。
都心のほうが便利なのは明らかだけどね。
よい仲間や先生に恵まれたため、個人よりチームでの活動が好き。


?両親について

【両親の出会い】
二人は職場で出会った。同じ部署やチームではなかったが、
あまり大きくない職場だったので顔を合せる機会はけっこうあったらしい。
ドラマのような一目惚れはなかったと言い張るが、本当かな〜?(笑)
ここは本人達のみが知るということで。

【両親の仕事】
父:臨床検査技師
母:パート
二人とも「仕事は生きるために我慢してやるもの」と考えており、僕にもよくそう言う。
僕は楽しく仕事がしたいとよく思う。したがってよく両親ともケンカするのだ。

【両親のあなたに対する教育の姿勢】
基本的に放任主義。結果を出せば何も言わない。
父:とにかく手に職をつけろ。安全に生きなさい。
母:やりたいことをしなさい。でもルールは破ってはいけない。
ずっとこう言われてきたので、疑うこともなかった。
ずっと保守的で、安全な道を選ぶようになっていた。

【両親の夢】
父:自立すること。厳しい父からとにかく早く離れたかった。
  これといって特にやりたいことはなかった。というよりはやらせてもらえなかった。
母:特になし。あえていえば、漫画を描いてみたかった。
両親からは「夢」を感じる機会は少なかった。がまんしている素振りもないので、
大人はこういうものなのだと思っていた。僕は仕事と夢は別物だと考えるようになっていた。

【両親との直接的な関係】
・楽しかった思い出
 家族でのキャンプ。旅行よりもリーズナブルなキャンプがメインだったけど、この時間が好きだった。
 そして夜は必ず大トランプ大会!すごくあったかくて、居心地がよかった。
 将来僕が家族をもったら、僕もこうしたいと思った。
・感謝している思い出
 部活でどんなに遅く帰ってきても、母が温かいご飯を作って待っててくれたこと。
 そのときはそれが当たり前だと思ってしまっていた。でもそのおかげで、僕は部活を120%頑張れた。
・悲しかった思い出
 父に「世の中、最後は金だ」と言われたとき。悲しかった。でも父の考えも間違ってはいないと思う。
 きっとそういう環境だったのかも知れない。この点については意見が違うのだと僕は割りきった。
・許せない思い出
 父が家族をすっぽかしてパチンコに通う姿を見て。そんなに楽しいのかなぁ。そんなに疲れてるのかなぁ。
 父の数少ない趣味だったので、母も僕も何もいえなかった。
・怒られた思い出
 ?一番つらかったこと
  資格試験がひと段落し、学生団体やインターンで社会勉強をしているとき、
  「かぶれるな!まずは資格だ!」と怒られたこと。僕が正しいと思ったことを全否定されるのはつらかった。
  以後、ここだけは曲げられないと反発するようになる。
 ?頻繁に怒られたこと
  ちゃんと片付けなさい!食事のマナーが悪い!
  僕は家ではだらしない面もあったので、よく怒られていた。うるさいな〜と思っていた。
  でもそのおかげで、少しは意識をするようになった。

【両親に対する思い】
一言で表すとしたら、それはやはり「感謝」だ。
それぞれに対して怒りや悲しみの感情を抱いたこともあったが、
それは両親の一部に対してであって、両親そのものに対してではない。
と今なら言えるだろう。(笑)
今の僕があるのは両親のおかげだと思っているし、僕は幸せだとも思う。
だからこそ、親と衝突することはあっても、親を悲しませることだけはしたくない。
家族を幸せにするには、僕自身が幸せだと胸を張っていえることも大事だと思う。
だから、ゆずれない一線は親と徹底的に話し合って、納得のいく結論を出したいと思う。

【両親の手料理に対する思い出】共働きで帰りが遅くなっても、一生懸命作ってくれた。
僕がカツどんが好物だったので、よく作ってくれた。
父の帰りが遅くなるときはありあわせの夕飯が多かった。
でもそれはそれで僕は喜んで食べていたような気がする。
僕にとってはあり合わせのご飯が新鮮だったのだと思う。
こんなこともあって、僕は家ご飯が大好きだ。


?幼少期編へと続く・・・